いつになったら目標って達成できるんだろう。
社会人2年目になったとき、「一人前になったら異動したい」、と思っていた。
その”一人前”の定義を私は、
”社内での肩書が一つ上に上がること”
と定めた。
ランクが上がるというのはつまり、
・手取り足取り教えてもらう立場の新人から、末端の仕事であれば一人で一通り回せるようになる
・一人で仮説を立て検証するサイクルが回せるようになること
という状態と同義だからだ。
さすがに私も社会人3年目の後期、そろそろ新人ポジションというのは見合わない。
だから年度末にランクを上げる申請をするつもりだし、
先輩からも、そろそろ上がってもらわないと困るといわれている。
しかし自信がない。自分で申請するが自分で困惑している。
なぜならまだまだ先輩、上司に頼りきりで。一人では仕事を回しきれない、
私と同じ年次なら(例えば1個上の先輩の1年前とか)もっとできていた。
当初掲げていた目標と、今私が思っている1年前の目標(前述)、は少し変わってきているのかもしれない。
おそらく当初の私は
「スケジュールを自分でたて、実行し、わからないことは適切な人に適切なタイミングで情報収集をする」
=どのプロジェクト、どの会社、どの業界でも社会人として当たり前のスキル
ことを一人前の定義だと思っていたと思う。
それが、先輩や同期、優秀な後輩を見ているうちに求めているものが高くなっていったのかもしれない。
目標は言語化しておくべきだ。
人は目標すら簡単に忘れてしまう。
そして勝手に目標未達だと落ちこむ。
悟り世代の行く先ってどこなんだろう
「悟り世代」などと。
色々な人がいるに決まっているのに「世代」として一括にされるのは本来の自分ならば反発を覚えるものだけどどうやら特徴の真ん中にいるらしい。
たとえば。
競争などくだらないと目を背けた結果悔しいという感情が抜け落ちて引き出せなくなった。とか
ミニマリストや禅の思想に触れ、欲が少ない自分を否定しなくなった。とか。
元々は
「どうして仕事で成長することに縛られていたんだろう」
「どうしてみんな生きていく以上のお金がほしいと言っているんだろう」
という自分中心の疑問だったのが最近になってから発展して
「なぜ人類は向上を続けなければいけないのか」
「なぜ経済をもっと回さなければならないのか」
「なぜもっと売上を伸ばさなければならないのか」
「人はどこへ向かおうとしているのか?幸せとは何か?」
考えてもよく分からないので、経済学、社会学、と少しずつかじりながら答えに近づこうとはしてみるものの今のところまだまだ分からない。
けど、数十年後には資本経済は緩やかに別のベクトルに転じていくのだろうということは何となく予想がつく。というかそうであってほしい。
コロナの状況で、各国が協力して治療薬やワクチンを作っていることとか。
「悟り世代」はなぜかテレビではどちらかというとネガティブな含みを持たせているように感じるけど、
この世の中になっていることで若者がそういう考えを持つのは必然的にも思える。
経済を回す、売上、便利な社会、になることよりも人間の精神的豊かさに何ができるか、お金にならない価値にどう仕組みを作っていくのか。
みたいなことを考えていると、
果たして今、私が日々行っていることは意味があるのか?などと疑問が浮かんできてはまた目の前の仕事に集中できなくなっている。
私はいつまでも中途半端だ