心の日記。

自分への定期報告

死の話題が近すぎる不安定さを克服する

世界的感染病の流行で「死」というテーマがすぐ隣にあるような感覚になっている。
来週に死ぬ「予定」がなかった人があっさりと死んでいく。
それが世間でも有名芸能人が亡くなったのをきっかけにして急加速した。

来週には病気に感染して、そして再来週にはこの世にいないかもしれない。
自分にもあてはまるし、身近な誰かかもしれない。
そう思うと怖い。
しかし、そもそも死への恐怖って一体なんだろう。

死は、生まれた瞬間に常に・隣にくっついているものなので、より身近になったというだけなのに…。
「死にたい」と思っているときは死ぬのが何も怖くないのに…。

人は恒常性があるという話に行きつく。

例えば、高校生から大学生になるとき。大学生から社会人になるとき。研修生から配属されるとき。
見えない不安があるとき、人は変化よりも安定を求める。
今のままがいいな、と思うようになる。

しかし、その不安は大学生になるにあたって、先輩の話を聞いたり、社会人になるときは事前にOBOG訪問をしてどんな生活を送っているか聞いて想像する。
配属前は面談でどんな仕事をするのか事前に心構えをしておく。
そうすることで自分でもやっていけるかも、と思えるようになる。

一方で死とは一方的な変化で、その川の向こうにわたった人から実際に話を聞くことはできない。
だから変化に対して未来の想像ができなくて怖くなる。

と結論付けた。

何も心構えをしないまま飛び込むのは耐えられない。
そこで宗教に死に対する想像の世界があるのだろう。

実際にある程度、死後の想像を膨らませておくと心が穏やかになる。

死後どうなるかは一方通行で不明だからこそ、いろんな宗教の死後の世界を知って
その中から自分の解釈にあうものを選びとっていこう。

変化しないものというのはほとんどなくてすべてが変化の中にいる。
変化に抵抗はできないことを受け入れ続ける。