心の日記。

自分への定期報告

なんとなく昔を振り返ってみて、自分というものを知る。

世の中に悲しいとか辛いとかそういう感情を持ったことがない人が一定数いる。
そういう人はある程度悲しいことがあっても自分を信じてあげられるから辛いという感情に結び付かないのだ。

それではなぜ私がここまで自己肯定感が低いのか振り返ってみる。

11~13歳で友達が自分から離れていくのを目の前で見る。いじめられたことはあったが、短期間かつ少人数だし、そんなに心にダメージを受けたわけではない(トラウマではない)
だが私の人間関係観に影響を及ぼしたのには間違いない。

私は勘違いしていた。
友情は向こうからやってくるものではない。自分から働きかけないと意味がない。それにマイナス感情でつながるのは友情とは呼べない。

11歳から中学受験の勉強が忙しくなり、友達と遊ばなくなってからガタつきはじめた。今となってみれば当たり前、そりゃ普通遊んでくれる人を優先して仲良くなるだろう。

だけど私は勝手に離れていったと勘違い。自分は求められていないんだと知る。

修学旅行の班決めで確定打。

そして15~17の部活で異質なもの、考え方を排除するという感じの文化が私の自己肯定感を低める。

そうして自己肯定感0の自分のできあがり。

けれども、私はあきらめなくて、自分でも何かできることを探していた。これは偉かったと思う。 受験はオール成功、ゼミもバイトもサークルもそこそこ充実した環境に身を置いている。
根が暗くてもせめて外面は明るくいよう、そうすればいい人にも出会えるしいい環境で成長できると。そう、いろいろな環境を見て回ったのは私にとってプラスだった。
社会に出てもいろんな人と出会える、自分を肯定するために、いろんな人の人生、生き方、考え方をみることができる職場にいたい。

どうやら頭はいいわけではないがそこそこよく、他人に迷惑をかけることもなく、かといって八方美人でうざいわけでもなく素直で自分の言葉で話せる人…そして行動を起こせる人のようだ。
だからあとは自分が自分を認めてあげさえすればもっと私は飛躍できるのではないか?という結論に至った。

この過剰な自意識をしずめればもっと世界を事実として切り取って感情と離せるようになり、もっといろんな行動を起こせるようになる。
例えば友達一人遊びに誘うのもそう。さっき書いたけど、人は自分を誘ってくれる人になつくのだ、それは自分もそうだ。嫌な人は勝手に断る。
誘いもしないのに誘われないからと落ち込むのは確実に間違っている。自分は何もしなくても誘われるほど面白い人間ではないし驕っていてはダメだ。
他人にクソみたいな迷惑をかけることはしない常識はもちあわせているみたいだし、もっと恐れずにいろいろなことに挑戦しよう。

世界をシンプルにとらえる。PDCAを回す。 人生の成功。

人生の成功については次の記事でまとめる